中秋節 :陰暦8月15日(2024年9月17日)
中秋とは秋がすでに半ばを過ぎているので中秋という。
秦(紀元前221年 - 紀元前207年)
中秋の儀式は秦代以前から既に行われていたようであるが、中秋の夜に月を愛でると共に月と関係のある物を食べものを味わうことは遅くとも唐代に風習となっていた。
唐(618年 - 907年)
玄宗皇帝も八月十五日の夜、宿直する諸学士が月を愛でる際、文酒の宴を準備していたという。
空に雲もなく、月光が昼のように明るかったので文誥を司る蘇テイ(そてい)は「清光が素晴らしいのにどうして灯煬を使うのかと言って、灯煬を撤去させたことがある。
中秋には満月を愛で、親を思い、友に会い、風雅に良宵を過ごしたようである。 参考文献:「開元天宝遺事」
宋 - 南宋(1127年 - 1279年)
又蘇の東波も中秋には朝まで酒を楽しみ、すっかり酔ってしまいその後詩句を詠じている。
中秋の食べ物いわゆる節物は、玩月羹、月餅、桂花酒などあり、唐代の書物にもいろいろ出てくる。
明(1368年 - 1644年)
明代では、八月十五日中秋にも庶民の間で月餅を贈りあっていたようである。月餅の故事で有名な元を倒し、明を興した武帝がその蜂起の伝令を月餅に隠して、同士に配ったことからも当時の風習が伺える。
団円とは満月のように一家団欒という意味があり、月を祭りそれに供える果物や餅は円形で一弧は蓮華の花びらのように鋸歯状に切り、月餅と月果は親戚同士がお互いに贈り合うが月餅には直径が2尺もあるものがあったようである。
女性は里帰りしても必ずその日のうちに嫁ぎ先に帰ることが義務づけられたという。それで中秋節を団円節とも言ったと「帝京影物語」にある。
また「酌中志」によると月餅が余れば乾燥させて、風通しの良い涼しいところにしまっておき年末に家中で分け合って食べるので団円節ともいう、とある。
清(1616年 - 1912年)
中秋には、いたるところで月餅が売られている。大きい物は直径が1尺あり、上面に月宮や蟾(せん:ヒキガエル)や兔(うさぎ)の形が描かれている。祭りが終わると食べるものもいれば、残して除夕(大晦日の晩)に食べる者もいる。これを団月餅という、と「燕京歳時記」にある。
また江蘇の句容地区では、八月の中秋に餅宴を催し、親戚や友人との交情を深めた。
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